さらにオーラバ…

もう今日で最後にしたい(^_^;)。と云いつつ語ります!

最新巻のラストで十九郎は術力をなくしてしまうんですが、その時忍に「一族とは関係のない罪なき民になって生きろ(云い方違いますがPHSに漢字がないから)」と引導を渡されるんです。初めこれ読んだ時は「忍酷いよ〜これまで十九郎がどれだけ本家に尽して来たか一番知ってるのに」と思ったんですが、考えるとこれは忍の優しさなのかもしれない。登場人物のところで書きましたが、本家には道者と云う術力を持たない関係者もいるわけで、術者達が妖者退治の際何か破壊してしまったり人に迷惑をかけたりした時の事後処理(完全に融合してしまった人間は退治された妖者と一緒に死んでしまうから、その後始末とかも…)を行っているんですね。だから頭も要領も人当たりも良い十九郎に道者になれと命令することもできたわけです。でもそれは今まで術者として生きてきたプライドを傷付けることになるし、元々本家の道者達は十九郎に対して憧れなんだか妬みなんだか羨望なんだか全部複雑に入り混じっているのかもしれないんですけど、当たりがきついんですよね。十九郎以外に忍を介さないで本家と意思の疎通ができる術者がいない(希沙↑ 良は十九郎が関わらせないようにしていたし、諒と亮介は一族じゃないし)からと云うのもあり、平たく云えばずっと矢面に立ってきたわけです。だから今さら彼等と一緒に道者にって云われたらその方が辛いかな…。

あと、忍は本心から十九郎に自由になって欲しいのかもしれません。忍自身生まれた時から神として両親にすら崇拝されて生きてきたので、家族を知らないし普通の人間の暮らしも知らないんですよね。妹の冴子は今は忍のマンションに入り浸って世話を焼いてるんですが(インスタントラーメンしか作れないけど…忍も食べさせられてるんだろうか)、鎌倉の本家に帰れば近寄れもしないし。
忍は空者なので恐らく死ぬまで空者として生きなければならない(実は一度死んだんですが生き返っちゃった(笑)ので、どうなったら死と云うのか分からない。伽羅王の意識と分離すれば忍も普通の人間になれるのかもしれないけど)から、十九郎に云った「罪なき民になって生きろ」と云う云葉は、もしかしたら忍が一番云われたい云葉なんじゃないかとも思うんです。自分には絶対に望めないことだから。まあ諒のことを考えても単にスパルタなだけ(自分の罪に打ちのめされてた諒に「お前の罪は未来永劫許されることはないから、安心して落ち込んでいい」←本が手元にないのでニュアンスですがこんな感じ、と慰めてんだか追い討ちをかけてんだか分からないこと云ってましたしね(笑)。でも諒にはその方が良かったみたいで今は明るく前向きに生きてます)なのかもしれませんが…。
私が十九郎贔屓だから良く考えたいだけの可能性が大な気も(苦笑)。

これだけ語ってきてなんですが、このシリーズを読むことは全然お勧めしません(^_^;)。と云うか読まない方がいいと思います。
作者さんが完結させる気あるのか疑問だし、文章に特徴があるので嫌いな人の方が多いと思うし…。しかも今時風に云うと「キャラ萌え」しないと話がまとまってなくて読みにくい上に分かりにくい。←本当に好きなのか!? 本筋と外伝がごちゃごちゃに入ってる感じがするんです。時間が経ちすぎて当初と作者の感覚が違って来てしまっているんだと思いますけど。1巻の雰囲気だと多分もう少し軽いタッチの話にするつもりだったんじゃないかな。キャラの性格も変わってますからね。

と云うわけではまってしまったら辛い思いをするだけだと思うのでお勧めしないんです…。挿絵が途中で変わったのも嫌なんですよね〜。オーラバの漫画を描いている杜真琴さんがとてもイメージに合っているので、今の人は違和感バリバリです。最新巻のカバーなんか暫く十九郎だってわかりませんでしたよ(^_^;)。どこのサラリーマンかと思った…。
また新しく杜さん漫画がメロディで始まったことだし、作者さんが書く気ないんだったらいっそのこと、原作だけして杜さんの漫画でラストまで行くって云うのはどうですか。そしたらプロットだけでいいじゃん(苦笑)。
オーラバに限らずこの作家さんはいくつもシリーズ書いてて完結しているのがひとつもない(>_<)。世界感やキャラクターを構築するのは上手いんだけど話を動かす力が弱いと云うか。そう云う作家多いですが…。

今思えばオーラバはアニメに向いてるかもしれないな。出てくる女の子はみんな可愛いので、杜さんの絵をもうちょっと美少女キャラにしたら男受けもしそうかも。ドラマCDは出てるんですが聞いてないので声優さんのイメージはないけど、十九郎は石田彰さんがいいな…。←ただ石田さんの声が好きなだけですけど。

いい加減にしないとまた文字化けしそうなのでこの辺で(^_^;)。
お付き合いありがとうございましたm(_ _)m。