壬生義士伝 上下

浅田次郎文藝春秋
注:毒舌です(笑)。浅田さんのファンの方は読まないで下さい。
監察吉村貫一郎が主人公の話です。鳥羽伏見戦のあと、大阪の南部藩邸に辿りついた吉村が親友大野次郎右衛門の命で切腹するまでの独白と、吉村の為人を語る周囲の人の独白が交互に入って構成されている全部一人称の小説なのですが、好みの問題で云うと非情に読みにくかったです(苦笑)。私は元々一人称の小説が苦手なので・・・。
吉村が南部藩(現在の岩手県)を脱藩した事情や新選組でどのような活動をしていたと云うようなことは分かり易いのですが、どうも大野が強硬に吉村に切腹を迫ったわけが私には理解できなかったのですが。武士と云うのはそういうものだと云われればそれまでなんですが。でも薩長の目が怖くて逃げ込んで来た吉村を切腹させたのだったら、その後恭順か参戦か決めかねている藩に呼び戻された時に参戦論を主張したのは何でなのかやっぱり大野の心情が理解できません。親友を犠牲にしたのならあくまでも藩を守るべきだったのでは? と思うんですが・・・。
吉村の独白以外の部分は大正時代になってからで、生き残った人物が誰かの取材に答える風の形式を取って思い出しながら語っているのですが、それぞれ想像はできるものの名前の出て来ない人もいます。でもこの代わる代わる語る、と云う方式を取ったせいで「吉村はこうだった」と何度も同じ表現が出てくるのが気になりました。そうやって印象を深くしようとしているのかな〜とも思うんですけど、一人称にしたことと、違う人に何度も同じことを云わせていることで無駄に長い小説になっているんじゃないかと思うんですが(笑)。半分くらいで書けるんじゃないかと思います。ちょっと厳しすぎるかな。

そういう訳で世間の評判ほど面白い話ではなかった(云い過ぎですね、あくまで主観ですから)と思うんですが、出てくる土方さんは結構好きでした。声が甲高いかどうかは置いておいてなんですけど(笑)、斎藤は爺さまになってからも「いい男で自分が女だったらぞっこん惚れるだろう」とか「(死の)迎えにくるのはあの男だろう」とか勝手に思い込んでるのが可愛いです。吉村のことも斎藤のことも良く分からないと近藤さんは苦手なんですが、土方さんは好きなんですよね。