L5Y感想続き 

話の中のジェイミーとキャサリンについて。
パンフにあった作者インタで「キャシーはいつもヤな女なわけじゃないんだ、とわかる」って書いてあって「ええ〜!?」と思ったから内容についても書きます(^_^;)。昨日は読んでなかったので…。

ジェイミーが憎たらしくてもキャシーがヤな女に見えたところはなかったんですよ。これは女性目線だからとか見るからにNaoさんが素直そうだからとかそう云うことには関係なくて、どう見てもジェイミーが我儘だからだと思う。二人の関係が上手くいかなくなってジェイミーは浮気してしまうんだけど、それを「君のせいだ、僕は君を愛してるのに、君に支えて欲しいのに、君が僕を信じてくれないからだ」って云うんですよ〜。こやつ…。

最初から二人は環境も人種も宗教も、恐らくお金があるなしも全部違っていたわけだから、相互理解が必要だと思うんです。でもジェイミーは頭もいいしモテるし小説家としても前途洋洋だから自分の考えが正しいと思っていて、それを一方的にキャシーに押し付けている感じがします。初めはキャシーも頑張るジェイミーが素敵だったんだろうし、自分もやれば彼のように成功できるんじゃないかと思っていたんでしょう。
でもだんだん自分には女優の才能がないことに気付き始めて、ジェイミーの才能や成功が前ほど嬉しいと思えなくなる。話にはこういうシーンはないんですが、オーディションに受からないキャシーをジェイミーが励ます時「今回は頑張りが足りなかったんだよ、次はもっと頑張ればきっと受かる」って云うと思いませんか。これは慰めとしては当たり前なんだけど、自分は駄目だと思ったことがないジェイミーにはキャシーの「努力だけでは越えられない壁がある」苦悩が理解できないんでしょうね。それは頑張ってないからだ、自分で限界を作ってしまってるだけなんだって思ってるんでしょう。
だからキャシーに「扉を開けなよ、君ならできる」と無邪気に励ますんです。キャシーは女優になりたいくらいだし「専業主婦はいや」と思うんだから魅力的で快活な女の子なんでしょう。でも持って産まれた資質がジェイミーとは残念ながら合わなかった、ジェイミーは自分を理解して欲しいと求めるばかりでキャシーを理解しようとはしなかった、彼女の不幸はそういう天才を愛してしまったことではなくて、彼に愛されてしまったことの方だと思いました。
ラスト(キャシーの時間軸では最初ですが)でもキャシーはジェイミーが去った部屋に佇んで彼が戻って来てくれるのを待ってる、でもジェイミーは「僕には愛する人が必要だ」ともう違う女性を求めてるんですよね。ジェイミーの別れの曲が辛いのは耕史くんが上手いからで内容は自分勝手(苦笑)。

つらつら書いてきましたが、山本耕史とジェイミーは結構似てるんじゃないかと思いました(^_^;)。脇目も振らず邁進するとことかね、でもどんな役をやっていても「本人はこうなんじゃないか」と思えちゃうんですけど、それは役者としてやっぱり天才なのかな(^_^;)。