オリンピック

トリノオリンピックについての新聞記事で「イタリアでは盛んなスポーツに地域差があり北部以外に冬季五輪への関心が薄い」と云うものがありました。確かにフィギュア以外の会場には空席が目立ったし、オリンピック開催中は騒がしいから旅行へ行くと云う地元の話も聞いたりはしましたが。でも徐々に盛り上がって行った感じがしたけど実際はどうだったのかな?
その馴染み薄い理由が「イタリアは今の統一国家になってまだ130年くらいなので、同じ国と云う意識がない」と云うのですよ、吃驚だけど確かにそうかも…。
私はですが日本が日本でなかった時代がないせいか(外国の植民地だったことがない)、ことさら主張したり意識したりしなくても日本人なんですが、外国の人たちは「ナニナニ!」って国名を連呼することでナショナリズムを体現しているのかも。
アメリカだとそこに国策を感じてあまり良く思えないのですが(>_<)。「この旗の元に集え!」と強制されることでアメリカ人だと自覚するよう促されている感じがします。ソルトレークの時は、自国の選手を熱狂的に応援するのはまあまだ我慢できますが、アメリカ選手以外に酷いブーイングを浴びせる観客の姿に本当にがっかりしました。二度とアメリカ開催のオリンピックは見たくないと思ったくらいです(でも北京五輪はちょっと心配だなあ…日本人選手にだけ厳しそうだし)。
トリノはその点みんな好意的で、イタリアの国旗と外国の国旗を持って声援している様子もたくさん見たし、「日本は同盟国だから好き」とちょっと驚くような理由で応援してくれていた人もいました。日本だけじゃなく他の国の選手が活躍しても嫌な静まりもブーイングもなくて、凄く良いオリンピックだったな(^_^)。イタリアが更に好きになりましたよ。ナポリとか南の地方では「オリンピック?どこでやってるの?」状態だったようですが…(^_^;)。

閉会式で兵隊に追い掛けられる花売りの男が、その兵隊の持つ銃の銃口に薔薇を挿していく演出があったんですが、開催期間中にもイラクではモスクが爆破されていましたね。オリンピックのハイライトとニュースが交互に映されるのを見ていると本当に哀しいです。
なんで戦うしかないのかなあ、誰も自分の家族や友達を失うことを望んでいないはずですよ。一人一人は何人(ナニジン)であろうと友達になれるのに、国家になるとどうしてできないんだろう。国家ってなんなんだろう? ナショナリズムを否定はしないけど、民族に拘わりすぎるのも好きではないです。
「あなたとは気が合わない」って云われたら哀しいけど「あなたが日本人だから嫌い」と云われたら虚しいと思います…。自分ではどうすることもできないですからね。

オリンピックだけじゃなく各国の選手がお互いに健闘を讃えあっているのを見ると幸せな気持ちになります。スポーツに云葉はいらないし歌にも踊りにも国境はないですよね。
歴史や文化は大切にしたいし日本の良いところは守りたい。でもそれは他の国を否定することとは全然別の話だと思います。健闘を讃え合う選手のように、風俗や宗教や習慣を互いに認め合い尊重し合うことができるといいなあ。